1929年の作品。同年4月に60歳を迎えたフランスの作曲家、アルベール・ルーセルへのオマージュとしてまとめられた小曲集《アルベール・ルーセルを讃えて》の3曲目として作曲された。この企画に参加した作曲家は、モーリス・ドゥラージュ、オネゲル、プーランク、アレクサンドル・タンスマン、イベール、コンラッド・ベック、アルチュール・オエレ、ミヨーの計8人。
プーランクがルーセルの作曲レッスンを受けたことはないが、六人組のメンバーの活動を好意的に受け止めていたルーセルは、プーランクにとって頼りになる先輩だった。実際、プーランクは1920年の夏にノルマンディー地方の別宅で過ごしていたルーセルのもとへ頻繁に赴き、自作の出版譜などを見せつつ、アドバイスを受けていたという。このような出来事の背景には、若き日のプーランクに多大な影響を及ぼしたサティが、スコラ・カントルムでルーセルの指導を受けていたこともある。
初演は1929年4月18日に、サル・ガヴォーでのルーセル祭で行われ、曲集は1929年のルヴュ・ミュジカル誌の付録として出版された。20年後、プーランクはこの作品を小編成のオーケストラ向けに編曲するが、その自筆譜は、ピアノ・ソロのための原曲自筆譜とともに、現在では行方不明になっている。タイトルにある通り、2分ほどの短い作品だが、1947年初演の《ティレジアスの乳房》序曲を思わせるようなフレーズが途中に聞かれるなど、自作品を頻繁に引用するプーランクの傾向が随所にみられる。