1929年あるいは30年から1938年にかけて断続的に作曲された8曲からなる作品。 第1曲は1929年(自筆譜では1930年)、第2曲は1933年、第3曲から第6曲までが1934年、第7曲が1935年、第8曲が1938年に完成した。作曲のきっかけなどについては不明な点が多く、各曲はそれぞれ異なる人物に献呈されている。したがって、プーランクが第1曲の作曲開始時から、8曲による一つの曲集を構想していたとは考えにくい。実際に、各曲は個別に出版されたあと、1939年にウジェル社から一つの連作曲集として出版された。そのため、曲集にするというアイデアは、プーランクが《ノクチュルヌ》の全曲を少しずつ作曲していく中で、徐々に形成されていったのだろう。
作品全体の特徴は、まずプーランクがピアノ曲の作曲家として受けた様々な影響が明確に現れている点である。プーランクの伝記を執筆したエルヴェ・ラコンブは、第2曲と第8曲にシューマン、第4曲にショパン(特にマズルカからの影響)、第5曲にストラヴィンスキーとプロコフィエフ(特に《ペトルーシュカ》からの影響)、第7曲に「プロコフィエフ風に現代化されたバッハ」を見て取っている。引用された作曲家名からは、リカルド・ヴィニェスの愛弟子だったプーランクのピアニストとしての興味の幅も窺い知れよう。
また《ノクチュルヌ》には、プーランク作品において顕著な、自己作品の再利用も見られる。第1曲で最後に聴かれる8度跳躍の繰り返しによるモティーフは、第8曲に再登場するだけでなく、のちに1957年初演のオペラ《カルメル会修道女の対話》の主要モティーフにもなった。また、第1曲36小節目のモティーフは、第4曲にも現れている。