ブルグミュラー, ノルベルト :ピアノ・ソナタ ヘ短調 Op.8
Burgmüller, (August Joseph) Norbert:Sonate für das Pianoforte f-moll Op.8
総説 : 林川 崇 (954文字)
このソナタは、ヘ短調-変ニ長調-ヘ短調というそれぞれの楽章の調性の選択、第2楽章の最後と第3楽章の最初の和音が共通している点、第3楽章の後半に置かれた経過句等から、ベートーヴェンの「熱情」ソナタからの影響が自明であり、作曲技術の面でも、例えば第1、第3楽章の展開部における動機労作に弱さが見られたりはするものの、一方でウェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン等と比較しても、ノルベルトが独自の個性を持った音楽家であったことが十分に窺える。
ブルグミュラー兄弟の父フリードリヒ・アウグスト(1760~1824)は、1812年から亡くなる前年までデュッセルドルフの市音楽監督を務めていたが(彼は1789~90年にはボンの国民劇場の音楽監督を務めており、そこではオーケストラの一員としてベートーヴェンがヴィオラを弾いていた)、その父が死去するとブルグミュラー家は経済的に困窮したようである。一つの転機となったのは、父が創設した「ニーダーライン音楽祭」が1826年にデュッセルドルフで開催され、シュポーアとリースが監督を務めた時であろう。この年、兄フリードリヒはロンドOp.1を出版。それにはリースによる出版社との仲介があったと言われている(これ以前の作としては1825年作曲のオーケストラのための序曲の楽譜が残っているらしい)。弟ノルベルトもこの年からカッセルでシュポーアと彼の弟子モーリッツ・ハウプトマンに師事することになった。このソナタは、ちょうどその頃に書かれたと思われる。
シュポーアとハウプトマンの下で研鑽を積んだノルベルトは、1830年1月14日に自作のピアノ協奏曲Op.1を自身のピアノとシュポーアの指揮により初演し、作曲家兼ピアニストとしてデビューした。なお、作曲家で音楽学者のフランソワ=ジョゼフ・フェティス(1784~1871)が編纂した音楽事典「万国音楽家列伝」第2版(1867)には、フリードリヒ(事典ではフランス式にフレデリックと表記)の項目に、1829年(ママ)からカッセルでシュポーアに作曲を師事し、1830年1月14日に自作のピアノ協奏曲を演奏して作曲家兼ピアニストとしてデビューしたという内容の記述があり、フリードリヒの存命中に既に兄弟混同が起こっていたことがわかる。
第1楽章 アレグロ・モルト
総演奏時間:10分30秒
動画2
解説0
楽譜0
編曲0
第2楽章 ロマンツェ、アンダンテ
総演奏時間:6分00秒
第3楽章 フィナーレ、アレグロ・モルト・エ・コン・フォーコ
総演奏時間:11分30秒
ピアノ・ソナタ 第1楽章 アレグロ・モルト
ピアノ・ソナタ 第2楽章 ロマンツェ、アンダンテ
ピアノ・ソナタ 第3楽章 フィナーレ、アレグロ・モルト・エ・コン・フォーコ
検索