プリューダン30代半ばの成功作。この作品は当時音楽家たちに高く評価され、しばしば公の場で演奏された。本作品を献呈されたエクトール・ベルリオーズは1853年にオーケストラ付きで演奏された《妖精の踊り》をパリで聴いて次のように述べている。
彼の《妖精の踊り》という作品は、昨年ロンドンでオーケストラなしのを聴いたが、私の知る限り最も詩的で甘美なものの一つだ。[…]これは詩であり絵画である。オーケストレーションは甘美で穏やか、神秘的な響きのする和声、陽気な旋律の戯れ、すべてがそこにはある。ピアノの走句は意味の空虚な線ではない。それは妖精的旋律の連鎖であり、それらはとめどなく流れきらめき、ピアノだけが完全に表現できる着想に他ならない。プリューダンの《妖精の踊り》は全体として音楽界に導入された新しく夢想的な作品だ。認めるべきこうしたことがあるということは、私にはそうしばしば起こることではない。(RGM, 1853. 4.10, no.15, Journal des debatsからの引用)
概してプリューダンの作品にはあまり重力が感じられず、空気のように漂う性質を持っている。バロックのトッカータ風の序奏に続いて登場する、飛び交う「妖精」の音型、すなわち右手が細かい16分音符で動き続ける書法は、すでに《12のジャンル練習曲》の第6〈鬼火〉に見られるが、本作品では半音が多用され愛らしくも怪しい雰囲気を醸し出す。本作品は20世紀初期まではよく演奏されたらしく、イタリアのコンポーザー・ピアニスト、ズガンバーティ(1841-1914) がこの曲を教育用に編集して再出版している。