フランスでは第一次大戦前の1913年、芸術や流行を載せた高級雑誌”ガゼット・デュオ・ボン・トン”が発行され、評判を得ていた。その出版者であったルシアン・ヴォージェルが、著名なイラストレーター、シャルル・マルタンの絵を添えたピアノ曲集の出版を計画した。そこで彼は最初ストラヴィンスキーに作曲を委嘱したが、これは報酬額が折り合わず断られた。その仕事がローラン・マニュエルによってサティのもとにくることになったのだが、すぐには引き受けず、なぜだか彼は自ら委嘱料の値下げを出版社に交渉し、その結果作曲を承諾したのだった。
曲は序文であるコラールと20の小曲からなっている。《ひからびた胎児》同様に詩もつけられている。序文では、サティ自身がこの音楽画集について語っている。
序曲《食欲をそそらないコラール》は、アンヌ・レイによって「古風な感じの全音音階的な主題をテトラコルドで分割し、教会音楽のヒポリディア旋法で書いたものに半音階の多い四声部の和声をハ長調でつけたものである。低音部は、調性の優勢な音程を軸にして進行する。対位法は密度が濃く、カデンツは堅固である。」と評された。薔薇十字教団に属し、自身で設立した教団の司祭者となっていたサティの、秘教的神秘主義時代の作風と、スコラ・カントルムでダンディに習った対位法を駆使し、融合させた作品である。
第1曲「ブランコ」は、まず左手の動きをみると最後までホ音が8分音符で2オクターブの行き来を繰り返している形になっている。ブランコの絶え間ない揺れが表現されているのだろう。その2オクターブの中に右手の奇妙なゆったりとした短いフレーズがおかれている。この右手のフレーズにサティは“私の心の揺れ”などと詩をのせている。掛詞のような効果を生み出している。
第2曲「狩」は、生き生きとしたテンポ、スケルッツオ風なリズムで書かれている。左手は三度から始まり、単旋律、オクターブの流れが一曲を通して、下降系で書かれている。詩には“狩り”と題されているが、動物達を前にしても“私は、といえば鉄砲をぶっ放してくるみを撃ち落す”という行からも読み取れるように、動物達へのやさしく温かな眼差しが感じられる。サティはルイス・キャロルとアンデルセンを愛読書としていた。この詩の表現にはそれらからの影響がうかがえる。
第3曲、「イタリア喜劇」はスカラムーシュ(「臆病者の隊長」という道化的な役者)が兵隊の職業の美徳を説明している模様が書かれている。付点のリズムが陽気でこっけいな曲想をつくりだしている。
第4曲、「花嫁の目覚め」は左手が《トルコ行進曲》の左手の伴奏型を思わせる。詩には“行列の到着”とある。
第5曲、「目隠し鬼」はゲームをする恋心をもった男性と女性について書かれている。濁った和音から直に触れることの出来ない恋心のベールのもやと目隠しという実際のもやとを掛けた表現にしたかったのではないかと思われる。左右に出てくるオクターブの形は、目隠しされた鬼が左右に手探りしながら進む足取りではないか。
第6曲、「魚釣り」は川底の魚と釣り人が描写されている。音型からみると、最初の3連は水泡、左の16分音符の5連と4分音符から流動的な魚の動きなど表現されている。
第7曲、「ヨット遊び」は悪天候のなか、ヨットに美女と乗っている様子が書かれている。冒頭、オクターブで不気味に強調された低音と右手によって弾かれる音域の広い分散和音が、悪天候の海を連想させる。続いて表れる16分音符の下降上行は、ヨットの帆の靡きを表現しているようだ。
第8曲、「海水浴」は譜面を一見して、低い浅い波、高い深い波の表現が窺える。調性的伴奏に、旋法的な単旋律が重なる。
第9曲、「カーニバル」は紙吹雪舞う中で仮装舞踏会が始まる様子が書かれている。変ロ長調の音階でおりてきて(紙ふぶきが落ちてくる描写)、第4曲の《花嫁の目覚め》同様、人の群がりを表す音型が交互に現れる。最後は変ロのオクターブの上にト音をもって終わるところが疑問を表現した音の響きとなっている。
第10曲「ゴルフ」は、熱狂してと指示されている。大佐殿の見事なゴルフショットの様子が書かれている。フォルテでテヌートがつけられているオクターブで書かれた音型は、グランドの芝生を自信たっぷりに威厳のある歩みをする大佐を表現しているのか。
第11曲、「蛸」は蛸がかにを追い廻すとてもユニークな詩が添えられている。音型や個々のモティーフのリズムから、蛸の様子や動き(穴からのぞいている、カニを足でからかっている、カニを飲み込む、ガサガサと進む様子など)がわかる。カニをのみこむ動作の音型と胃の調子をとり戻そうと塩水を飲むという動作の音型が逆の型で書かれているが飲む動作の音型を同じモティーフを使って表現している。
第12曲「競馬」は、馬のレースの模様が描かれている。左手は緊迫感を高める音型が最後まで続く。アクセント(ニ音とホ音の繰り返し)とスタッカート(イ音とロ音の繰り返し)のつけられた音型では益々レースの盛り上げ、スタートする前の人と馬との気持ちの高揚が表現され、強弱と音型によってスタートする前と出走した様子の表現は見事である。
第13曲「陣とり遊び」は、フランスの子供たちの鬼ごっこである陣とりゲームの様子が書かれている。詩を読むとサティはどうやらゲームをする子供たちを四匹のねずみと猫に例えているようだ。ほとんど単音で書かれていて、逃げるねずみと捕まえられないねずみの苛立ちが3連や稀に現れるオクターブによって表現されている。
第14曲「ピクニック」は、踊るようにと表記され軽快なピクニックの様子が書かれている。
第15曲「ウォーターシュート」は、酔ってしまいそうな船の乗り物に乗っている人達の様子が書かれている。中間部分の右手の全音音階的上行系が使われている。
第16曲「タンゴ」は、悪魔が心を冷たくするために果てしなく続踊り(タンゴ)の様子が書かれている。左手のリズムはハバネラ風である。そのリズムの上にタンゴがのっているのだ。最後の16分音符で書かれた右手が高音で弾かれまた冒頭に戻るというエンドレスな形式となっている。曲全体はピアニッシモで書かれており、悪魔の冷たさを表現するひとつとなっている。
第17曲「そり」は、奥様方のそり遊びの様子が書かれている。中間部にあらわれる、三度やニとホ、ホと変ホの繰り返しの使い方から寒さから凍えている様子が窺える。またオクターブからは、雪の上をきって走るそりの光景を表現しているようだ。
第18曲「いちゃつき」は、男女のたわいもない会話の様子が書かれている。まず、アクセントの使い方を見て欲しい。疑問詩以外の言葉のフレーズごとにアクセントがつけられている。韻をふんでいるようだ。左手は最後まで伴奏型である。
第19曲「花火」は、花火を観る人達の様子が書かれている。火花がちっているようなスタッカートの使われ方、大きな打ち上げ花火を表現した8分音符五つずつの上行形は視覚的音響を感じることができる。
第20曲「テニス」は、“スポーツと気晴らし”の曲名にあったテニスのスポーツでラストをかざる。テニスのプレーを見ている女性が男性のプレーヤーをほめた詩がつけられている。
スタッカートがつけられた音からボールが跳ねている様子が覗える。また、同じ音が繰り替えされているが、同じ位置でボールをラケットでバウンドさせているような音の使い方である。
(樋口 愛2007/11)
序(食欲不振のコラール) / "Preface(Choral inappetissant)"
1.ブランコ / No.1 "La balancoire"
2.狩 / No.2 "La chasse"
3.イタリア喜劇 / No.3 "La comedie italienne"
4.花嫁の目覚め / No.4 "La reviel de la mariee"
5.目隠し鬼 / No.5 "Colin-maillard"
6.魚釣り / No.6 "La peche"
7.ヨット遊び / No.7 "Le yachting"
8.海水浴 / No.8 "Le bain de mer"
9.カーニヴァル / No.9 "La carnival"
10.ゴルフ / No.10 "Le golf"
11.蛸 / No.11 "La pieuvre"
12.競馬 / No.12 "Les courses"
13.陣取り遊び / No.13 "Les quatre-coins"
14.ピクニック / No.14 "Le pique-nique"
15.ウォーター・シュート / No.15 "La water-chute"
16.タンゴ / No.16 "Le tango"
17.そり / No.17 "Le traineau"
18.いちゃつき / No.18 "Le flirt"
19.花火 / No.19 "Le feu d'artifice"
20.テニス / No.20 "Le tennis"