1979年、アストル・ピアソラがヴァイオリン奏者フェルナンデス・スアレス・パスのために書いた作品。スアレス・パスはピアソラの晩年の五重奏団のヴァイオリニストであり、この曲はタンゴ・ヴァイオリンの魅力にあふれた一曲となっている。
曲のタイトルになっている「鮫」とは、ピアソラの趣味であった「鮫釣り」のこと。アルゼンチンでは小型のチョウザメなどを釣るのがポピュラーであり、スポーツのひとつとして広く親しまれている。
印象的な5つ打ちの力強いリズムに乗せて曲の幕が開く。基本のビートは4分の4拍子の2小節単位で進行していくが、突然のリズム変化や、不意打ちの2拍の休止など、予測不可能な展開は、まさに先の読めない鮫の動きのよう。鮫釣りのスリルと躍動感が、野性味あふれるリズムとメロディによって見事に表現されている。
さて、ここで注目すべき事がある。タンゴは元々踊るための音楽であり、クラシック音楽のように、演奏会などで聴くために発展してきた音楽ではない。しかしながら、この曲はリズム変化が激しく、踊るための音楽とは言いがたい。ここにピアソラが「タンゴの革命児」たる由縁がある。 先ほど述べたように、タンゴは1870年頃にブエノスアイレスで働く移民たちの中から生まれたダンス音楽であり、ナイトクラブやダンスホールで主に踊りの伴奏として演奏されてきた。
しかし、ピアソラの登場でこれまでの「踊るためのタンゴ音楽」の歴史が一変する。彼はアルゼンチン・クラシック界の巨匠であるヒナステラに師事し、パリに留学してナディア・ブーランジェ女史に教えを請い、フーガなどクラシックの音楽理論を身につける。またアメリカ生活ではジャズやロックのアドリブや力強いビートなど新しい音楽をどん欲に吸収し、タンゴに新鮮な息吹を吹き込んでいったのである。 このようなピアソラの音楽の革新的な試みは、周囲からの激しい批判にさらされてしまうが、彼はそれをものともせず、タンゴの更なる高みを目指し、自身の音楽をより完成度の高いものへとさせていった。 そして、彼のたゆまぬタンゴへの挑戦と情熱が、タンゴを「単なる踊るための伴奏としての音楽」から「芸術性に優れた聴くための音楽」へと昇華させていった。 そのようなことを考えながら、この曲を楽しんでみるのも一興かもしれない。