【総説】
フォーレ最後のピアノ曲であり、彼の晩年の傑作の一つとして位置づけられる。弟子のシャルル・ケックランは、この作品をフォーレのノクターンの中でも「最も真に迫る、最も苦悩に満ちた」ものと評した。
【成立背景】
1921年秋にパリで書きはじめられ、12月31日に南仏ニースで完成、翌年デュラン社から出版された。フォーレの「生涯でも最も実りの多い時期」(ネクトゥー)に生み出されたもので、同年の作品に、《舟歌 第13番》、《チェロ・ソナタ 第2番》、連作歌曲《幻想の水平線》などがある。作曲当時のフォーレはすでに76歳、高齢・難聴等の理由から1年前にパリ音楽院院長の職を退いていた。この作品を最後に、彼の創作活動は次第に下火になっていく。
フォーレの友人で音楽愛好家のフェルナン・マイヨ夫人ルイーズ(フォーレはそのサロンで時折室内楽曲の試演を行っていた)に献呈され、1923年4月28日の国民音楽協会で《舟歌 第13番》とともにブランシュ・セルヴァによって初演された。
文責:神保夏子