《アジエンス》の自筆譜(スケッチ)には、「Kao CM 20030722」と記されている。この作品は、花王(株)の商品である「アジエンス」のコマーシャル・ミュージックとして、2003年に作曲された。依頼者が求めたのは、《東風 Tong Poo》のような音楽。《東風 Tong Poo》は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)として活動していた坂本龍一が、中国のレコードや北京交響楽団から着想を得て1978年に書いた作品である。《アジエンス》は、《東風 Tong Poo》にも通じる、オリエンタルのようで無国籍のようでもある独特な情緒を纏う。疾走感のある原曲に対し、後に編曲されたピアノソロは緩やかで叙情的。いずれも、2004年に発売されたアルバム『/04』に収録されている。
《アジエンス》を特徴づけているのは、2分音符と転調感であろう。4分の4拍子だが、冒頭からメロディーは2分音符単位で旋律をうたう。そして転調感は主に和音の用い方によって生じている。c mollにはじまり、中間部でGes durに変わったかと思うと、間もなくまたc mollに戻ってくる。このなかで、借用和音、和声外音が頻出するため、実際に弾くと(あるいは聴くと)、調性間を浮遊しているような感覚になる。
縦の響き/和音と横の線/旋律、いずれにも坂本龍一らしさが表れている。コードを分析すれば、ジャズやブルースの響きが含まれていることがわかる。また、ペンタトニックが醸しだす懐古的な趣も、曲に大きな魅力を与えている。短調で、どこか哀切さを湛え、ときには音と音のぶつかりもある。それでも、最終的には心地よい解決に至る坂本の音楽は、演奏者あるいは聴衆に一種のカタルシスをもたらす。
【主要参考文献】
・山下邦彦編著『坂本龍一の音楽』(東京書籍、2008年)