ジャズとのクロスオーヴァー、映画音楽、数々のヒット・ミュージカル。幼いころに楽器屋で客相手にピアノの試演をしていた、というところまで遡れそうな市井の感性。
《パリのアメリカ人》《ラプソディー・イン・ブルー》といった作品が持つ具体性、普遍性、そして娯楽性を説明するのにこういったキーワードは有効かもしれないが、何かしらの欠落が拭えない。そもそも少年期に出会ったジャズを始めとするブルースでありオペレッタであり、自身が魅入られた音楽を端から作曲語法として包括し、「アメリカ」というフィルターを通して鳴らしてみせたところがガーシュウィンの魅力であり、それまでの作曲家と一線を画している所以でもある。
この作品でもガーシュウィンが目の当たりにした1920年代パリの町並みは活力豊かに描かれている。ひとりのアメリカ人の周りを目まぐるしく時間が取り囲む。雑踏と裏通り、昼と夜、冒頭の性急なリズムは都会特有の行き急ぐ感覚、随所でけたたましく鳴らされるホーンはタクシーのクラクション。生活のいち場面を切り張りしながら一日のサイクルに合わせ作品の構成を組み立てる手法は見事である。
これは決して、彼の即興能力の賜物であるとか、劇音楽の手法を転用しているというだけでは説明のつくものではない。ラヴェル、ドビュッシー、フランス6人組といった20世紀フランス音楽に対するガーシュウィンなりの咀嚼の結果である。また、同時代の新ヴィーン楽派や新古典主義の観察を経てきた成果と言えるかもしれない。時に我流とさえ言われる彼のオーケストレーションだが、発想の展開のさせ方はこうした同時代の作曲家たちのそれが重なってくる。
偶然の出会いだったが、ガーシュウィンは突然の病魔に襲われるまで晩年の数年間、シェーンベルクと親密な時間を過ごした。シェーンベルクはガーシュウィンに向けられていた「ジャズにかぶれたクラシック作曲家」或いは「(黒人が生み出した)ジャズを用いて語る白人」といった表層的な風評を取り払い、没後、彼の音楽を真にオリジナルな芸術音楽として位置づけた。探求に探求を重ねて12音技法を発見した彼にとって、ガーシュウィンの新しい音を掴み取る感性は羨望に近いものがあったであろう。