第1曲:アレグロ・モルト・モデラート、ハ短調、4分の4拍子
即興曲集の冒頭に位置する本楽曲は、曲集の4曲を「ソナタ」にたとえるなら、ソナタ形式を取る第1楽章に対応する。したがって本楽曲は、概説で言及したソナタとの関係を考える際の鍵となるため、詳細な形式分析をとおしてシューベルトの作曲上の構想を明らかにしよう。
本楽曲は、オクターヴで幾重にも重なったト音の強打によって幕を開ける。これに続き、単旋律の「問い」と、和声を伴った「答え」が4小節一組で4回演奏される。その際、まるで一つの対象に様々な角度から光を当てるかのように、8小節のフレーズは毎回異なる和声で色付けされている。ハ短調で始まったこのセクションは最終的には変イ長調に終止し、変イ長調で新たなセクションが幕を開ける(第42小節~)。ここで注目すべきは、新たなセクションの主題が、調性と伴奏リズムに関しては冒頭主題と異なるため第2主題として認識されるものの、旋律的には第1主題の冒頭リズムから派生しているという点だろう。つまりこの第2主題は、冒頭主題と親和性を有しているのである。第2主題が第1主題と同様に幾度も反復され、高揚した後、第74小節から新たな主題が8小節間、変イ長調で簡潔に提示される。この主題は、新たな旋律を持つため第3主題と名付けられるが、主題提示の短さと調性に鑑みれば、第2主題の続きとも解釈できる。
この後、第1及び第2主題から派生した5小節の移行部が続いて一段落となるため、ソナタ形式になぞらえれば第87小節までが提示部に相当する。確かに、複数の主題が提示され、ハ短調から変イ長調に転じる点では、ソナタ形式とも解釈されうる(平行調ではないものの、第2主題で長三度下に転調する調関係は、たとえば交響曲第7番《未完成》D 759にも見られる)。だが、第1主題と第2主題が同じ旋律素材を有し、第2主題と第3主題が同じ調性を取るため、「提示部」に置かれた3つの主題はコントラストが弱められ、徐々に移り変わるよう設計されているのである。この点で本楽曲は、主題間でコントラストが生み出される通例のソナタ形式楽章とは一線を画しており、それゆえ相対立する2つの命題の「止揚」というベートーヴェンに刻印された作曲様式とは異なる、シューベルトの特徴が浮き彫りになっている。
第88小節からは、前半部が展開部風にパラフレーズされて再提示される。まず第1主題が主調で回帰する。ここでは第2及び第3主題に由来する三連符の伴奏リズムを伴うのみならず、それがさらにオクターヴの連打となって現れることで切迫の効果が生じている。8小節一組の主題が2回奏されると主題から逸脱し、盛り上がりを見せる。もともと長調だった第2主題はト短調で再現され、十六分音符と後打ちの低声部という新たな伴奏リズムを取り(第125小節)、そして第3主題は、不意打ちの長調転換を通してト長調で回帰する(第152小節)。このように、ここまで全体的に展開部の性格を持っているが、実際に演奏されるものは前半部の再現に他ならない。展開部と再現部を合併するという構造のみならず、再現部の調設計という観点でも、本楽曲はソナタ形式楽章より自由に作られていることが分かる。提示部では可能な限り対立的要素を避け、展開部の性格を再現部に取り込み、自由な調で再現を行う――ソナタ形式がシューベルト特有に解釈されており、本楽曲はソナタの第1楽章に比類されうるにもかかわらず、それとは明確に差別化されている。シューベルトが「ソナタ」と命名しなかった理由は、ここにあると見てよいだろう。
第161小節からは第1主題に基づく結尾部となる。ここでは、長短調のせめぎ合いという、シューベルトが後年に好んで用いた手法が突き詰めて用いられている。この技法は、第3主題がト長調で再現される瞬間(第152小節)に予示されており、結尾部ではさらに鮮烈に用いられる。ハ短調で始まった結尾部は、第167小節において突然、ハ長調に転換する。調転換と急な弱音への転換が相まって、《冬の旅》第1曲のように、曲全体で突出した箇所の一つである。その後はハ長調を基本とするが、第177小節から変ホ音や嬰ヘ音というハ短調の要素が顔を覗かせることにより、長短調の先行きは不透明となる。第192小節で一見ハ長調に落ちついたように見えるが、第194~195小節や第199~200小節でも変ホ音を通してハ短調が垣間見え、ようやく最後の4小節でハ長調が確定する。
楽章全体の調構造は、大枠ではハ短調に始まってハ長調で終わるため、ベートーヴェンによって浸透した「暗黒から光明への道(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」の構造と一致しているように見える。だが実際は、幕を閉じる直前まで長調と短調が判然とせず、長調の大団円という一義的な結末とは全く異なるストーリーが描かれている。
ソナタ形式を解釈し直すと同時に、長短調のせめぎ合いによって直線的な楽曲構造を異化する――ベートーヴェン亡き後に独自性を打ち出した、シューベルトの方向性がはっきりと見て取れる。