アルカン, シャルル=ヴァランタン : 全ての短調による12の練習曲 Op.39
Alkan, Charles-Valentin : Douze études dans tous les tons mineurs Op.39
作品概要
出版年:1857年
初出版社:Richault
献呈先:Francois-Joseph Fetis
楽器編成:ピアノ独奏曲
ジャンル:練習曲
総演奏時間:2時間06分00秒
著作権:パブリック・ドメイン
解説 (1)
執筆者 : ピティナ・ピアノ曲事典編集部
(1293 文字)
更新日:2010年1月1日
[開く]
執筆者 : ピティナ・ピアノ曲事典編集部 (1293 文字)
1835年頃アルカンは、マレ地区の両親の元を離れ、ショパン、カルクブレンナー、ジメルマン、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマといった当時一流のピアニストや作家が住んだオルレアン広場に移住した。アルカンはそうした質の高い芸術的環境の中で旺盛な創作意欲を示していたが、1848年、音楽院で師事したジメルマンの後継者争いに不本意な形で敗れ、それに引き続き1849年には親友のショパンが亡くなりるという不幸が重なった。こうした中、彼が精神的に不安定な状態が続いていたことは、ドラクロワの日記やジョルジュ・サンドに宛てた手紙に表れれている。ショパンが亡くなると彼はオルレアン広場を離れたが、それは同時に彼がそれによって生計を立てていた職業的な繋がりを絶つことを意味した。1853年には定期的に室内楽演奏会に参加したが、50年代後半から60年代にかけて彼は引きこもりがちになり、上流階級の女性にへのレッスンで生計を立てていた。「アルカンさんはお留守です」-知人がアルカンを訪ねても、アパルトマンの管理人にこう言われて追い返されるだけであった。
しかし、1857年、おそらく50年代の内に書き溜めた作品を一気に出版した。その中で最も大規模な作品がこの《全ての短調による12の練習曲 op.39》であった。この年に出版された諸作品は、1849年以来の彼の活動の空白を埋める重要な証拠である。あれほど周囲に人間不信、体調不良を訴えながら、驚異的な創造力でもって大規模な、しかも綿密に取り組まれた作品を生み出したというのは一見不思議なことである。人生の谷間にあって、彼はその反動を全て創作に注ぎ込んだのだろうか?
この練習曲集は、《全ての長調による12の練習曲 作品35》と同様、アルカンが学生時代、パリ音楽院で対位法とフーガを教えていたF-J.フェティス(1784-1871、パリ音楽院在職:1821~1833年)に献呈された。フェティスは自分を若い頃から見守っていたよき理解者であり、そしてまたアルカンはこのベルギーの大学者を深く尊敬していた。アルカンはおそらくフェティスの思想・音楽を一つのよりどころとして、この時期、水面下で作曲に専念していたのかもしれない。そのことはこれら二つの練習曲が彼に献呈されているという事実だけを見ても明白なように思える。
この作品39は、2巻に分けてRichaultから出版された。この曲集の主たる特色はピアノによるオーケストレーションであり、そのことは第4曲から第7曲は《交響曲》、第8曲から第10曲は《協奏曲》、そして第11曲は《序曲》と題されているのを見るだけでも理解されよう。曲の多くは分厚いテクスチュアで書かれ、オーケストラの楽器を示す語や、tutti、soloなど、オーケストラ作品で用いられる用語がしばしば見られる。アルカンは40年代以来、オーケストラをピアノに書き換える独特な手法を《ドン・ジョヴァンニによる幻想曲》、《音楽院の想い出》、《預言者》序曲の編曲などを通じて確立した。この交響的なピアノ書法をこの作品39でオリジナル作品に適用したのである。
楽章等 (12)
協奏曲:アレグレット、アッラ・バルバレスカ Op.39-10
調:嬰ヘ短調 総演奏時間:11分00秒
序曲;マエストーソ-ラントゥマン-アレグロ Op.39-11
調:ロ短調 総演奏時間:16分00秒
イソップの饗宴;アレグレット、放埒にならずに Op.39-12
調:ホ短調 総演奏時間:10分00秒
ピティナ&提携チャンネル動画(12件) 続きをみる
参考動画&オーディション入選(6件)
楽譜
楽譜一覧 (1)

(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス