作品概要
作曲年:1930年
出版年:1932年
初出版社:Rouart-Lerolle
楽器編成:ピアノ独奏曲
ジャンル:ソナタ
著作権:保護期間中
解説 (2)
総説 : 平野 貴俊
(315 文字)
更新日:2015年4月27日
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総説 : 平野 貴俊 (315 文字)
オーリックのピアノ曲のなかでもっとも規模の大きな作品であり、彼の創作史において記念碑的な位置を占める。それまでの彼のピアノ曲と異なり、規模の大きさとリズムや対位法の緻密な処理がみられ、《小組曲》に典型的にみられるような素朴さは姿を消している。速度や表情に関するフランス語の指示も詳細になされている。初演時の批評は、「六人組」を特徴づける軽快さに欠けているという批判と、技法の著しい深化がみられる支持という賛否両論に分かれた。こうした反応に失望して、オーリックは映画音楽の道にすすんで入っていったのではないかと推測する批評家もいる。いずれにせよ、本作品がオーリックの作曲技法の探究のひとつの到達点を示すものであることはまちがいない。
成立背景 : 平野 貴俊
(497 文字)
更新日:2015年4月27日
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成立背景 : 平野 貴俊 (497 文字)
《ピアノ・ソナタ》は1932年12月11日、パリのサル・ガヴォーで行われた演奏会協会「ラ・セレナード」の演奏会で、ジャック・フェヴリエJacques Février(1900-1979)によって初演された。ラ・セレナードは1931年、ヴァイオリニストのイヴォンヌ・ドゥ・カーザ・フエルテによって設立された団体で、運営委員会にはオーリックやプーランクら参加した。彼らは、サン=サーンスとラヴェルがそれぞれ結成に寄与した国民音楽協会と独立音楽協会に対抗し、六人組を中心とする作曲家の新作および同時代の外国の作品を採り上げた。1933年にはベルク《抒情組曲》のフランス初演、1938年にはストラヴィンスキー《ダンバートン・オークス》が行われている。《ピアノ・ソナタ》が初演された1932年の演奏会では、クルト・ヴァイル《マハゴニー市の興亡》、《イエスマン》(いずれもフランス初演)、ファリャ《クラヴサン協奏曲》も演奏されている。運営委員のひとりアンリ・ソーゲによれば、《ピアノ・ソナタ》はあるイギリス人による委嘱作品であり、コクトーはこの作品に対して否定的な評価を下したというが、真偽は明らかでない。