《ピアノ・エチュード》 第2巻(1988~1994)
第7番〈悲しい鳩〉:Vivacissimo luminoso, legato possible, ウルリヒ・エックハルト(Ulrich Eckhardt)に献呈。ドビュッシーが作曲した《映像》第2集の第1番〈葉ずえを渡る鐘の音〉に閃きを得て作曲された。ドビュッシーは、1889年のパリ万国博覧会でガムラン音楽を聴き、作品に全音音階を取り入れたという。リゲティは、この曲では、右手と左手で異なる2種類の全音音階を用い、重ね合わせている。
第8番〈金属〉:Vivace risoluto, con vigore、フォルカー・バンフィールドに献呈。きらきらと輝くような金属的な完全5度の和音が、自由に(ad lib.で)アクセントを付けて、非常にリズミカルに演奏される。リゲティは最初、〈5度〉というタイトルを付けるつもりだった。この作品に限ったことではないが、リゲティのエチュード作品に書かれた拍子や小節線は、楽譜に記譜する際の便宜上の目安でしかなく、実際の拍子や拍節は非常に移ろい易い。この曲は、ポリリズムの多様性が前面に押し出された作品のひとつと言えるであろう。
第9番〈眩暈〉:Prestissimo sempre molto legato、アルゼンチン出身のユダヤ系作曲家マウリシオ・カーゲル(Mauricio Kagel, 1931~2008)に献呈されている。この作品のほぼ全てが、下行形の半音階で構成されている。押し寄せては引いていく波に、次から次へと新たな波が重ねられていくように、長短様々な下行半音階が絶えることなく重ね合わされる多層的なカノン構造になっている。
第10番〈魔法使いの弟子〉:Prestissimo, staccatissimo, leggierissimo、現代ピアノ作品の演奏者として知られているピエール=ローラン・エマール(Pierre Laurent Aimard, 1957~)に献呈。1960年代から主にアメリカで盛んになった現代音楽のジャンルのひとつであるミニマル・ミュージックの作風に類似している。冒頭は、2音だけが両手で極めて速く反復される音型パターンが続くが、徐々に新しい音が加わっていき、次第にさまざまなフェイズが顔を出していく。最後は疾風のように急下降して終わる。
第11番〈不安定なままに〉:Andante con moto, リゲティの同郷の友であるルーマニア出身ハンガリー人作曲家ジェルジ・クルターグ(György Kurtág, 1926~)に献呈されている。リゲティは最初、前衛的な作風で知られるフランスの作家ボリス・ヴィアン(Boris Vian, 1920~1959)の小説『心臓抜き』(1953)をこの曲のタイトルにしようと考えていた。静かに揺れ動く長音符の重なり合いの中から、時々、流線的な旋律線が姿を現すが、すぐに消えてしまう。どこか虚ろで行き場の無いままに終わる。
第12番〈組み合わせ模様〉:Vivacissimo molto ritmico, ピエール=ローラン・エマールに献呈。タイトルは、さまざまなアートや建築に見られる「織り合わされた装飾」や「組み合わされたデザイン」を意味している。冒頭から途切れることなく演奏される16分音符の音型反復を背景に、様々な音価が重ね合わされ、複雑なポリメトリックが作られている。
第13番〈悪魔の階段〉:Presto legato, ma leggier, フォルカー・バンフィールドに献呈。リゲティは、カリフォルニアのサンタ・モニカに6週間滞在した際に、毎日、太平洋沿岸でサイクリングを楽しんでいたが、エルニーニョ現象後のある朝に猛烈な嵐に襲われ、もがきながらアパートに帰り着いたという。この作品は、その猛烈な嵐の経験から着想を得て作曲された。彼は、カントール集合を「悪魔の階段」と呼ぶことを知ってはいたが、この曲には隠喩的にそのタイトルを使っただけである。7(2+2+3)、9(2+2+2+3)、11(2+2+2+2+3)というリズム・モジュールに基づいたパターンが、ひたすら下から上へと登り詰めていき、クライマックスで最強音(フォルテ8つ)に達する。
第14番 〈無限柱〉と第14A番〈終わりの無い柱〉:Presto possibile, tempestoso confuoco, Vincent Meyerに献呈。この両作品のタイトルは、ルーマニア出身の20世紀を代表する彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)によって、1937年にミニマル・アートの作風で作られた35mの柱に因んでいる。ブランクーシによれば、無限柱は、単純なユニットの反復によって構成されており、どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないものとされる。ブランクーシは、その柱を「無限柱」、あるいは「終わりの無い柱」という両方の名で呼んでいた。この曲は、まず第14A番の方が先に作曲されたが、ピアニストのピエール=ローラン・エマールが、人間のピアニストには難し過ぎるのでもっとテクスチュアを簡単にするように、リゲティに頼んだ。その結果、第14番では、音の数や音程の密度が下げられ、ハーモニーも変えられた。