スペイン国民楽派を代表する作曲家エンリケ・グラナドスの数少ない4手連弾のための行進曲。
この作品は、時のスペイン国王アルフォンソ13世(在位1886〜1931年)に献呈されている。
グラナドスの作品は作曲年数のはっきりしないものが多く、この曲も長らく作曲年数に関して不明とされてきたが、近年のグラナドス作品の研究により、カーサ・ドテシオ社から1910年に初版の楽譜が出されていることが判明、少なくとも1910年以前に作曲された作品であることが分かった。
グラナドスと長年親交のあった世界的チェリストのパブロ・カザルスが、グラナドスを「スペインのシューマン」と称していたように、グラナドスは優れた作曲家としての顔だけでなく、優れたピアニストとしての顔も持っていた。それゆえ、グラナドスの作品の大半がピアノのための作品で占められている。しかしながら、その多くがピアノ独奏曲であり、ピアノ連弾作品は、この曲を含めて2作品が残されているだけである。(もう一曲は、未発表曲の〈村にて〉。)
グラナドスがわずかながらも、このような連弾作品を書いた背景には、「アカデミア・グラナドス」の存在が大きい。このアカデミアは、グラナドスが優れたピアニストの育成を目指して1901年に設立した音楽院である。20世紀のスペインを代表するピアニストで、「鍵盤の女王」と呼ばれた世界的なピアニストのアリシア・デ・ラローチャ(1923〜2009)をはじめ、ロサ・サパテル、フランク・マーシャルといった名ピアニストを数多く輩出している。
グラナドスはこの音楽院で、後進の育成に力を入れる一方で、新しいピアノメソードや、ペダルのテクニックなどの教則本を次々に出していた。その中で、連弾の教材として、この曲も大いに役立ったのであろう。
〈2つの軍隊行進曲〉は、グラナドスのピアノ作品の中でも珍しい連弾曲であるが、もう一点、「行進曲」であるということも、グラナドスの作品の中で非常に珍しい。
元々、グラナドスの作り出す音楽は、スペインの民族音楽を題材にしつつも、グラナドスが生涯に渡って憧れを抱き続けたショパンやシューマンといったドイツ・ロマン派音楽の影響を強く受けた作品が多く、優雅でロマンティックな作品が持ち味である。そのようなロマンティシズム溢れる作風のグラナドスが、「行進曲」という勇ましい音楽を書くことは稀であり、この曲を含めてグラナドスが作曲した行進曲は、4曲のみである。(他は、ピアノ独奏のために書かれた〈軍隊行進曲〉Op.38(1914年出版)と、〈スペイン民謡による小品曲集〉の第4曲「東洋風の行進曲」。)
グラナドスが、少ないながらも優れた「行進曲」を作り出したのには、グラナドスの生まれ育った家庭環境が大きく関係している。
グラナドス家は、父カリストをはじめとして、グラナドス以外の兄弟たちも皆、軍隊に属していたという軍人一家であった。特に、軍の将校の地位にいた父カリストは、他の軍関係者にも顔が広く、軍楽隊の中にも多くの知り合いがいた。そんな家庭環境で育ったグラナドス少年は、5歳の時より、父の友人で軍楽隊の指揮者であったスペイン軍将校のホセ・フンセーダにつき、音楽の勉強をスタートさせた。音楽が何より好きだったグラナドス少年の成長は目覚ましく、ホセ先生はいつもグラナドスのことを褒めていたと言う。
グラナドスにとって、「行進曲」をはじめとする軍楽は、幼少期に触れた音楽の原点であり、彼の音楽人生のルーツが「行進曲」であったのだろう。
では、各曲について詳しく見ていこう。
◯第1番…ニ長調、4分の2拍子、Allegretto。
4小節の華やかなイントロダクションで幕が開ける。旋律はセコンドが担当し、プリモは高音域で合いの手を入れ、行進曲の幕開けに花を添えている。
続く5小節目からは、旋律パートがセコンドからプリモへと移動し、第一主題が始まる。この第一主題は、序奏に登場したセコンドのメロディがモチーフとなっている。プリモが引き継いだこの主題は、三度を主とした二重音で構成されており、軍楽隊のトランペットの二重奏を彷彿とさせる。
一方、セコンドは伴奏パートを担当し、前打音を伴った行進曲のリズムを刻み、曲を活き活きと演出している。
53小節目からは、ニ長調から属調のイ長調へと転調。セコンドの伴奏も、キビキビしたものから、レガートのアルペジオへと変わり、エレガントな雰囲気に曲調も変わっていく。
59小節目には、16分音符の三連符が書き込まれ、優雅で上品な曲想の中にも、スペインの民族音楽らしい風情が顔をのぞかせている。
69小節目に入ると、プリモで2声で奏でられていたメロディが、オクターブユニゾンの4声で奏でられるようになり、音楽に華やかさが増すと、85小節目からは中間部のトリオとなる。トリオ部分は、ト長調で書かれており、他の多くの行進曲と同じように、下属調に転調している。
セコンドによる旋律パートの上に、プリモによるオブリガードが加わり、セコンド・プリモ合わせて4オクターブにまで音域が広がって、音に厚みが増し、より表情豊かに音楽が展開していく。さらに、ここではプリモとセコンドの両者の手が交差するように書かれており、独奏にはない、ピアノ連弾ならではの醍醐味が味わえる。
113小節目からは再び冒頭のパートが繰り返され、165小節目からのコーダを経て、威厳を持って堂々と曲の幕が下りる。
行進曲らしいキビキビとしたリズムと、上品で優雅なメロディが絡み合い、まるで王宮を守る近衛兵のような気品にあふれた一曲となっている。
◯第2番…変ロ長調、4分の2拍子、Lento Marciale。
第1番、第2番とともに、行進曲でよく用いられる形式である複合三部形式で書かれている。「トリオ(Trio)」と呼ばれる中間部で下属調へと転調することや、行進する軍隊の兵士たちの歩調に合わせるために2拍子系で書かれていることなど、他の多くの行進曲と同じ様式で作られている。しかしながら、軍隊の厳かな重厚さの中にも、気品と優雅さがあふれており、自身を「ロマン派音楽の後継者」と位置づけ、「スペインのシューマン」と称されたグラナドスのロマンチシズムが光っている。
2小節間のセコンドのソロによる序奏から煌びやかに曲がスタートする。フォルテでアクセントが付けられており、さながら軍楽隊のファンファーレのようだ。
3小節目から、Lentoのゆったりとした行進曲が始まる。
先ほど序奏にあらわれたセコンドの単音のモチーフが三和音となり、主部の伴奏形へと形を変えていく。三和音の連続は、ともすると音が重くなりがちだが、スタッカートを付けることで、軽やかな印象を与えている。
メロディを担当するプリモは、三度の重音で奏でられる2声の旋律が右手と左手とオクターブユニゾンで重ねられ、序盤戦から華やかな滑り出しである。さらにスラーやスタッカート、シンコペーションのアクセントなど、リズムにも随所に創意工夫が凝らされており、グラナドスの粋な演出が光っている。
19小節間になると、変ロ長調からヘ長調へと転調し、3オクターブユニゾンの力強い上行形の旋律がセコンドパートに登場する。低音ならではの重厚感も相まって、存在感のあるパートとなっており、これまで伴奏パートが主だったセコンドパートが重要な旋律のパートを担い、一気に脚光を浴びることとなる。続く27小節目からは、再び旋律のパートがプリモへと移り変わり、レガートの優美な旋律がオクターブユニゾンで顔を見せ始める。
冒頭のパートに戻ったのち、75小節目からは、中間部のトリオパートに入り、主部の変ロ長調のの下属調にあたる変ホ長調へと転調する。ここでは、叙情的で歌うような美しいメロディがプリモによって奏でられる。エレガントな雰囲気の中にも、前打音や、16分音符による5連符の装飾など、スペインの民謡のこぶしを思わせるような装飾が見られる。このような旋律は、グラナドスの代名詞ともなった作品〈ゴイエスカス〉でも使われた書法であり、彼のロマン主義的な一面と、スペイン国民楽派的な一面とを併せ持ったグラナドスならではの音楽の魅力がいかんなく発揮されている。グラナドスらしさを損なわないためにも、装飾が入るところでは、少しテンポを揺らして演奏する必要がある。
第1番と同様に、第2番にもTrioパートに手の交差が登場する。第1番がプリモとセコンドのパート間の手の交差であったのに対し、第2番はセコンドパートの左手が交差をして、ト音記号上の高音部を担当しており、手の交差という視覚的な効果だけでなく、鐘の音のような独特な音色効果をも生み出している。
91小節目になると、それまでの叙情的なロマンティックな空気から一転して、キビキビとした軍隊風の音楽へと変わり、8小節後には再び冒頭のパートが再現される。117小節からはコーダとなり、セコンドとプリモが掛け合いながら、華々しくフィナーレを迎える。