出版:Paris, J. Maho, 1853
献呈:Son ami Monsieur Clément Auffm Ordt
ドイツ初版の原題は『花の絵、果実の絵、茨の絵』で、ドイツの作家ジャン・パウル(1763 ~1825)の同名の長編小説のタイトル(通称『ジーベンケース』, 1796 ~97)から取られている。フランスでは『眠れない夜』という別タイトルで出版されたが、それはこの小説がまだ知られていなかったためであろう(1847年にパリでは『眠れない夜』という喜劇のテクストが刊行されているが、ヘラー作品との関係は現在のところ不明)。示唆的なタイトルにも拘らず、独仏の初版には各曲に標題はなく、文学作品との関係は必ずしも明示的ではない。ヘラーの没後アメリカで出版されたエディション(Schirmar, ca 1899)には各曲の標題が見受けられるが(14、17 番はそれぞれ「苦悩」、「幸福」)、これがヘラーに由来する可能性は低い。
第14 番 ピゥ・モデラート・エ・プリンティーヴォ ヘ短調
弦楽合奏風の小品。曲集中、最もシリアスかつ劇的な内容をもつ。楽想表示にあるplintivo(嘆くように)という語は本来イタリア語の語彙にはなく、フランス語の形容詞plaintif からの造語である。19 世紀のフランスではplintivo をはじめ、フランス語の語彙との類比から作られた「イタリア語」が誤用されたが、これに対しては当時から既にフランス人音楽批評家の批判があった。なおモデラートの前につくpiù は「いっそう」の意。比較対象ははっきりしないが、おそらく第13 番のAllegretto(6/8, q˜=76)のテンポに対してであろう。曲はA(a-b-a’)- B - A’(b-a’)- コーダと図式化される複合3 部形式をとる。
A(1 ~24 小節):a(1 ~8 小節)はチェロの独奏風の主題を特徴とする。b(9 ~16 小節)は2 部分に分かれ、その後半では高音域で繰り返し鳴り響く減七和音と低音域のトリルがコントラストを形作る。a はその直後に回帰する(a’, 17 ~24 小節)。B(25 ~49 小節):中音域に新しいヴィオラ風の主題が置かれる(26~32 小節)。跳躍する左手の伴奏上でこの主題は2 度反復され、41 小節目から重音の旋律がゼクエンツを形成する。A’:a が省略されb の後半から再現される(50 小節)。54 小節目から始まるa’の再現では最上声部に新たに旋律が加わり、B の主題に基づくコーダ(62 ~69 小節)が曲を締めくくる。
第17 番 アレグレット・パストラーレ 変ロ長調
冒頭の楽想記号は牧歌的ジャンルを示唆している。牧歌的情景は古くから純朴な精神の象徴として芸術の題材とされてきたが、19 世紀のピアノ音楽においても田園恋愛詩を指す「イディールIdylle」、「ベルジュリーBergeries」、「エグローグÉglogue」などのタイトルを持つ作品が多く書かれた。ヘラーも折に触れてこうした題材の作品を書いている。
曲は3 部形式で構成される。A(1 ~16 小節):下行する16分音符(動機a, 1 小節目)とシンコペーションを特徴とする動機(動機b, 1 ~2 小節目)が8 小節の主題を形作る。B(17 ~44 小節):多様なリズムのA とは対照的に、一貫した16 分音符のアルペッジョの伴奏に乗って動機a と新たなシンコペーションの動機(動機b のリズム縮小形)に基づく旋律(19, 20 小節等)が展開される。30 小節目までを1 つの楽節とし、これが変化を与えられて繰り返される(31 ~44 小節)。A’(45 ~63 小節):フェルマータを挟んで主題が回帰する。A はほぼそのまま再現されるが、主題反復の際に右手1 オクターヴ上への移高、和音の補強による高揚感を伴う変化が見られる。64 小節目からのコーダ(64 ~84 小節)はB の伴奏音型が次第に変化し72 小節で頂点を築いて、静かに曲が閉じられる。