序 文
最近、私はパデレフスキの思い出を正しく言い表す言葉を見つける難しさについて話をした。その翌日、パデレフスキに最も近しかった親友の一人が、私に次のような一節を送ってくれた。
――― 私は、逝去した指導者の喪に服するためにここに来たのではない。あなたがたと共に、不滅の精神の光と偉大さを祝福するために来たのである。私は、ここに弔辞を読み上げに来たのではない。人類で最も高貴で純粋な一人への畏敬と愛を捧げに来たのである ―――
これはまるで、パデレフスキの霊前で語られる言葉のようだ。パデレフスキの高貴で率直な人柄を忠実に反映しているのだから。しかしこれは、ウッドロー・ウィルソン大統領の葬儀でパデレフスキが語った言葉なのである。
パデレフスキに会ったことのない人にパデレフスキを説明しようとするとどうしても、ほとんど人間離れした完全な人だという印象を与えてしまう。すると、その人物像は全くの偽りになる。なぜなら彼以上に人間らしい人はいないのであるから。もちろん彼は音楽家として最も広く知られるが、彼の天分を表すのに音楽家という一つの言葉では足りない。もしも音楽家でなかったなら、彼は数学者、演説家、歴史学者、あるいは古典主義者として有名になっていたかもしれない。どの一つでもただ者では終わらなかっただろう。しかも、彼が間違いなく歴史に名を残すだろうと思われるのは、彼の天分によってというよりは、彼の献身と自己犠牲、つまり人間の資質の中でも最も人間的なものによるのだということを言っておきたい。
彼の友人たちは彼との思い出を大切にするが、それは彼が天才であったからではなく、利他的な友情を示す彼のたぐいまれな包容力のゆえである。おそらく彼の人生での何よりの喜びは、彼の友人たち、とりわけ仲間の音楽家たちを助ける中にあっただろう。彼の広い交友には多くの現代の作曲家たちとの友情があったが、そうした仲間の一人を助ける時ほど彼が幸せを感じることはなかった。作曲家たちが彼に助けを求めて聞き入れられなかったことは一度もない。
作曲家たちがパデレフスキとの思い出をそれぞれに称えたいと望むのは当然のことである。パデレフスキは作曲を芸術の最上の表現ととらえていたから、楽曲を捧げること以上に彼が価値を認める称賛はない。
パデレフスキの米国デビュー50周年を祝おうとしていた今この時、現代の多数の優れた音楽家たちがアメリカに集まってきている。その音楽家たちの一団が皆でピアノの小品を提供したものがまとめて出版され、一年間の著作権料はパデレフスキ記念基金に支払われ、苦痛にあえぐポーランド人の救済に充てられることとなった。
偉大な芸術家と共に寛大な寄付者を称えるのは幸せなことだ。それは同時に、この立派な組織が同胞の苦しみを軽減する助けともなるのである。
ヒュー・ギブソン 駐ポーランド初代アメリカ大使、1919年~1924年
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