モートン・グールドは多くのクラシック名盤の指揮者として知られるが、往時には「モートン・グールド楽団」のライトクラシックも広く親しまれた。昭和の日本でグールド楽団の音楽はラジオやテレビから日常的に流れていた。お高くとまったクラシックではなく、下駄履きの庶民の生活と共にあった音楽である。グールドは早くからピアノと作曲で頭角を現したが、とりわけ1930年(17歳)から1936年(23歳)までバート・シェフター(Bert Shefter, 1904-1999)とピアノデュオを組み、精力的に活動したことが特筆される。時はおりしも、アメリカのピアノデュオブームの絶頂期であった。日本でこそ知られていないが、アメリカでは1920年代から1950年代にかけて、欧州からの移住・参入組も含め、何十組というピアノデュオチームが出た。彼らはしのぎを削って演奏、創作、編曲にあたり、音楽史上でも特異な、ピアノデュオの黄金時代を現出させたのである。その豊かな実りは近代フランスのそれにも比肩する。いずれ稿をあらため、さらに踏み込んでご紹介する機会もあろうかと思う。
グールドはシェフターとの演奏のために2台ピアノの作編曲にあたった。ショパンの《幻想即興曲》の2台ピアノ編作のようにグールドとシェフターの共同名義のものもあるが、本作はグールドの単独名義のオリジナル作品である。「ルンボレロ」とはルンバとボレロを合成した造語で、「キューバ舞曲」(Cuban Dance)とのサブタイトルを持つ。アレグロ・モデラート、4分の4拍子、ハ長調。ABAの3部形式。Lee and Rose Singerへの献呈。3-3-2 の典型的なラテンのリズムに軽快なメロディが乗り、心地よく華やかに展開する。イ長調に転じる中間部はロマンティックでしゃれた味わいがある。書法もこなれていて無理がなく弾きやすい。本作を発表した当時のグールドは21歳の若さであったが、その筆致にはすでにプロの経験を積んだひとかどの大家の余裕と風格が漂う。同時に、シェフターとのデュオを足がかりにさらなる名声を得、キャリアアップをねらおうとするグールドの勢いのある野心も見え隠れする。本作がミヨーの《スカラムーシュ》(1937年)、アーサー・ベンジャミンの《ジャマイカン・ルンバ》(1938年)に先んじて書かれた事実にも着目したい。当時のアメリカでは、ピアノデュオが底の浅いブームに終わらず、若手がこうした秀作を発表するまでに普及し洗練され成熟していたのである。グールドとシェフターが両名ともに後年、自身の名を冠した楽団を率い、ブロードウェイ・ミュージカルやテレビ、映画音楽にも進出して成功を収めたことは興味深い。共通する音楽的志向を持つ稀代の名コンビであったといえよう。