リゲティは、14歳(1937)の時にピアノを習い始め、15歳(1938)から作曲を始めたが、音楽の他に生物学や物理学、化学、数学にも強い興味を抱いていた。18歳(1941)でギムナジウムを卒業した彼は、ルーマニアのコロジュヴァール大学理学部の物理学・数学科と、新設のコロジュヴァール音楽院(現在のゲオルゲ・ディマ音楽アカデミー)の入学試験に合格したが、ユダヤ人の入学制限により理学部への進学は許可されなかった。入学が許可されたコロジュヴァール音楽院では、ファルカシュ・フェレンツ(Farkas Ferenc, 1905~2000)に作曲を学び、23歳(1945)で入学したハンガリーのリスト音楽院では、ヴェレシュ・シャーンドル(Veress Sándor,1907~1992)に師事した。27歳から33歳まで(1950~1956)は、リスト音楽院で、和声法や対位法の講師を務めている。
リゲティは、1945年からリスト音楽院のヴェレシュの下で学んでいたが、その際には、バッハやヘンデル、クープラン、スカルラッティ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンなどの様式で作曲するという課題をこなした。《カプリッチョ》は、様々な作曲家の要素を取り入れた模倣的な作品であると同時に、特定の形式や手法に縛られない気まぐれな性格を合わせ持つ。
第1番は、Allegretto capriccioso、3/8拍子。ジェルジ・クルターグ(György Kurtág,1926~)に献呈されている。第2番は、Allegro robusto、5/8拍子から始まるが、入れ替わり立ち替わり異なる拍子となり、バルトークの要素が取り入れられているという。リゲティは、第2番の方を先に作曲したが、彼は、出版する際に、第1番と第2番の順番を入れ換え、その両作品の間に《インヴェンション》(1948)を挟み込んだ。