ヴィエニャフスキ, ヘンリク 1835-1880 Wieniawski, Henryk
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (2437文字)
更新日:2022年9月30日
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (2437文字)
ヘンリク・ヴィエニャフスキ Henryk Wieniawski
(1835年ルブリン[ポーランド]~1880年モスクワ[ロシア])
ヘンリク・ヴィエニャフスキは、ポーランドのヴァイオリニスト、作曲家、教育者。ポーランドが生んだ史上最高のヴァイオリンのヴィルトゥオーゾに数えられている。最初の師は母親のレギナ・ヴォルフだった。ごく幼い頃から母に音楽の手ほどきを受けた彼は、その後ワルシャワの大劇場テアトル・ヴィエルキのヴァイオリン奏者ヤン・ホルンジェル、およびブダペシュト歌劇場のコンサートマスターだったスタニスワフ・セルヴァチンスキにヴァイオリンの個人レッスンを受けた。 1843年、ヘンリクは8歳にしてパリに渡り、パリ音楽院でランベール・マサールに師事する。3年足らずで音楽院の課程を正式に修了、特別賞付のディプロマを取得した時点で若干11歳であった。その頃にはすでに、ピアニストの弟ユゼフとともにパリで精力的な演奏活動を行っていた。その後さらに2年間、マサールに師事したのち、東ヨーロッパ諸国への演奏旅行に出発する。1849年パリに戻ったヴィエニャフスキは、イポリット・コレのもとで作曲の勉強を開始したが、わずか1年で修了した。
1850年から55年にかけて、ヘンリクは弟ユゼフとともに定期的に演奏会を催した。兄弟は東ヨーロッパ各地やロシア帝国の多くの都市で共演する機会を持った。ヨーロッパで次々と成功を収めると、1860年、ヘンリクはロシア帝国の宮廷第一ヴァイオリン奏者ならびにロシア音楽協会(後の音楽院)のソリストという役職を拝命する。
12年間ロシアで過ごした後、ヴィエニャフスキはピアニストのアントン・ルビンシテインとともにアメリカへ演奏旅行に出立した。二人は1年足らずの間に200回以上ものコンサートで演奏を行っている。1874年、ヨーロッパに戻ったヴィエニャフスキは、重病を患っていたヴァイオリニスト、アンリ・ヴュータンに代わってブリュッセルで彼の担ってきた仕事を引き受けることになった。1879年には再びロシアに移るも、1年を待たずして1880年に没する。ワルシャワで執り行われた公葬には何万人もの人々が参列した。
ヘンリク・ヴィエニャフスキにとって、演奏と作曲は常に音楽活動の両輪であった。ヴィルトゥオーゾとしての卓越した腕前は、幾度となくパガニーニと比較され、また彼が作曲した作品の中にはヴァイオリンの超絶技巧が要求されるものが多い。ヴィエニャフスキの作品は「ブリヤン様式」で書かれた楽曲が中心であり、練習曲や技巧の披露に主眼の置かれたショーピースなどの小品から、有名な《ヴァイオリン協奏曲 ニ短調》に代表される協奏曲まで幅広い。また彼は、マズルやクヤヴィアク、ポロネーズなど、ポーランドの民族舞踊のリズムを用いた作品も多く書いている。
<主要作品>
《創作主題による幻想的大奇想曲》作品1(1847年)
自作のマズレクの主題による《変奏曲》(1847年頃)
《アリアと変奏曲 ホ長調》(1848年以前)
《幻想曲と変奏曲 ホ長調》(1848年)
《ヴァイオリン独奏のためのノクターン》
《ロマンス》(1848年頃)
《ロンド・アラ・ポラッカ ホ短調》(1848年)
《ソナタのアレグロ、ヴァイオリンとピアノのためのプレスト》作品2(1848年?)
《ドニゼッティの歌劇〈ランメルモールのルチア〉の主題による協奏的二重奏曲》(1850年頃)
《ロシア国歌の主題による協奏的二重奏曲》(1850年頃)
《ロシア民謡の主題による協奏的二重奏曲》(1850年頃)
《マイヤーベーアの歌劇〈預言者〉の主題による幻想曲》(1850年頃)
《田舎風マズル》(1850年頃)
《グレトリの歌劇〈獅子心王リシャール〉の主題による幻想曲》(1851年頃)
《フィンランドの歌の主題による二重奏曲》(1851年頃)
《2つのマズルカ》(1851年)
《行進曲》(1851年)
《ロシア国歌の主題による変奏曲》(1851年頃)
《〈ドナウの向こうからコサックは行く〉の主題による変奏曲》(1851年頃)
《演奏会用ポロネーズ第1番 ニ長調》作品4(1852年頃)
《悲歌のアダージョ イ長調》作品5(1852年頃)
《モスクワの思い出》作品6(1852年頃)
《カプリッチョ・ワルツ ホ長調》作品7(1852年)
《大二重奏ポロネーズ》作品8(1852年頃)
《言葉のないロマンスと優雅なロンド》作品9(1852年頃)
《ヴァイオリン協奏曲第1番 嬰ヘ短調》作品14(1852年)
《ロシアの復活祭》作品11(1853年頃)
《2つのサロン風マズルカ》作品12(1850年?・1853年)
《田園幻想曲》作品13(1853年頃)
《クヤヴィアク イ短調》(1853年)
《オーストリア国歌の主題による変奏曲》(1853年)
《ポーゼンの思い出,マズルカ ニ短調》作品3(1854年)
《現代の技法:ヴァイオリン独奏のためのエチュード・カプリス》作品10(1854年)
《創作主題による変奏曲》作品15(1854年)
ピアノ伴奏付歌曲《わかるわ》(1854年)
演奏会用ポルカ《ルブリンの思い出》(1855年頃)
《ベッリーニの歌劇〈夢遊病の女〉の主題による幻想曲》(1855年頃)
《スケルツォ・タランテラ ト短調》作品16(1855年)
《伝説》作品17(1860年頃)
《2つの性格的マズルカ》作品19(1860年?)
《2つのヴァイオリンのためのエチュード・カプリス》作品18(1862年)
《東洋風幻想曲 イ短調》作品24(1862年?)
《グノーの歌劇〈ファウスト〉による華麗なる幻想曲》作品20(1865年頃)
《華麗なるポロネーズ イ長調》作品21(1870年頃)
《サンフランシスコの思い出》(1874年頃)
《ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調》作品22
《ジーグ ホ短調》作品23
《クヤヴィアク ハ長調》
《凱旋ポロネーズ》
ヴィオラとピアノのための《夢 嬰ヘ短調》
作品(4)
室内楽 (1)
種々の作品 (3)
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