1932年の作品。当時の音楽雑誌、『ラ・ルヴュ・ミュジカル(La Revue Musicale)』の付録として作曲された。この雑誌は、20世紀初頭から1940年4月までフランスで定期出版されていたもので、主に音楽に関する論文を掲載する学術誌だった。その内容は、当時の音楽シーンの最前線で活躍するフランス人作曲家、あるいはヨーロッパ近隣諸国の音楽にフォーカスしていたが、モーツァルトやラモー、リュリなどの17〜18世紀の音楽も同様に扱われていた。また、時には特定の作曲家だけで特集が組まれることもあった。各号には論文だけでなく、綴込み付録として、様々なイラストや未出版の音楽作品も含まれており、この付録としての掲載が、作品の一般発表となることも少なくなかった。
『ラ・ルヴュ・ミュジカル』の1932年12月号は、「バッハへのオマージュ」と題した特集号だった。その付録にするため、バッハをテーマにした小品の作曲が、5人の作曲家に依頼されたのだった。プーランクはそのうちの一人で、他のメンバーは、アルベール・ルーセル、アルフレッド・カゼッラ、ジャン=フランチェスコ・マリピエロ、アルチュール・オネゲルである。
作品の形式に特に決まりはなかったようで、マリピエロやオネゲル、カゼッラの作品が、フーガに類する形式の作品を仕上げたのに対し、プーランクはいわゆる「B-A-C-H」のモティーフを用いて、ワルツ・ミュゼットを書いた。そのため、BACHモティーフは曲の冒頭に原型で非常にはっきりと示されているが、モティーフに沿う左手の和音にも、原型提示以下の部分にも、プーランクが好む和声進行や書法が見て取れる。その点で、この作品には、バッハというよりも、プーランクの存在が前面に押し出されているといえよう。なお、作品はヴラディーミル・ホロヴィッツに献呈されている。