プーランクの死の1年前、1962年に作曲された最後の作品である。オーボエを使ったプーランクの作品は、1926年に完成したバソンとピアノとのトリオ(FP 43)が特に知られている。FP 185のソナタは、作曲家唯一のオーボエ・ソナタで、1957年から作曲が予定されていた。それはこのころから、プーランクが、各々の木管楽器のためのソナタを作曲する、という計画を立てていたためである。ファゴット、フルート、クラリネット、オーボエのうち、クラリネットとオーボエのための各ソナタは、ほぼ同時期に作曲された。
この両作品は、1963年4月27日にシカゴで初演される予定だった。しかし1963年1月30日、プーランクはパリ5区メディチ通りの自宅で、心不全のため没する。最終的に、このオーボエ・ソナタは、作曲家の死から5ヶ月ほど後の6月8日に、ストラスブールで開催された国際ピエール・ピエルロ=ジャック・フェヴリエ祭にて初演された。作品の初期スケッチのタイトルページには、献呈文として、「プロコフィエフの思い出に」と記されている。
作品は、プーランクの他のソナタと同様に、3楽章で構成されている。第1楽章〈エレジー〉は、短いオーボエのソロで始まり、歌曲を思わせる伸びやかで調性的な旋律と、ピアノの和音のアタックによる部分とが対比を成している。第2楽章〈スケルツォ〉は、両楽器のたたみかけるような連打音に特徴付けられた、ABA形式の急速な楽章。第3楽章〈デプロラシオン〉(注:キリストの死を十字架の下で嘆き悲しむ、母マリアらの様子を描いた絵画作品のこと)」は、第1楽章と同様に、ゆったりしたテンポでオーボエ・ソロを挟みつつ展開する。オーボエの旋律は長調と短調の間を揺れ動き、明確な解決を持たないまま終わる。