芥川也寸志の作品において際立つのが、抒情的でしなやかな旋律、活力に満ちたリズム、そして反復される短い音型=オスティナートである。《ラ・ダンス》は、芥川の初期作品であるが、すでに彼の音楽的特色が明確に現れており、後年の管弦楽曲や映画音楽(たとえば《交響管弦楽のための音楽》、《トリプティーク》や《八甲田山》、《八つ墓村》、《赤穂浪士》の音楽等)への展開を予感させる。
《ラ・ダンス》は、昭和23(1948)年、芥川23歳のときに作曲された。同時期の他の作品が作曲者により破棄されたため、この曲が芥川の作品番号1を冠す。
《ラ・ダンス》作曲時、芥川は東京音楽学校研究科(現在の東京藝術大学大学院)に在学していた。彼は、第二次世界大戦中を陸軍軍楽隊の一員として過ごし、終戦後、音楽学校に復学して専門的に作曲を学んだ。
ピアノ組曲《ラ・ダンス》は、「I」、「Intermezzo」、「II」という小品から成る。いずれも、決然としたリズム構成によるもので、中間色あるいはぼやけた輪郭を好まなかった芥川らしい作品といえよう。「I」と「II」は、左手の8分音符がリズミカルに飛び跳ね、淡い憂いをたたえた旋律が右手に託される点で共通している。一方で、「I」が複前打音や短前打音を多用する小気味よいモティーフであるのに対し、「II」は“Rustico”という指示にみてとれるように、どこか牧歌的で郷愁を誘う。4拍子の「I」および「II」を取り持つ 「Intermezzo」は、一部を除いて3拍子で、ごく小さな音によりきわめて速く演奏される。とりわけ、左手が同じ音型に固執し右手が変化に富んだ旋律を奏でるバッソ・オスティナートは、リズム効果を鮮烈に印象付けるものであるとともに、「リズムは音楽を生み、リズムを喪失した音楽は死ぬ」(芥川 1971:88)という作曲者の言葉を想起させる。
《ラ・ダンス》の初演は、昭和23年、田村宏によって行われた。楽譜は、昭和35年発行の『日本ピアノ名曲集II(世界大音楽全集 器楽篇 第60巻)』に収録された後、音楽之友社より昭和42年に出版された。昭和35年版では冒頭に「Op. 1」と印字されている点や、昭和42年版に「作曲者のことば」の英訳も併記されている点を除き、両者の楽譜における音や記号の差異はみられない。