声明や梵鐘の響きなど、日本の伝統的な音文化を創作の基盤とする作風で知られる黛敏郎は、若年期にはジャズの語彙や新古典主義的なサウンドのほか、ガムランなどの非西欧音楽の要素の援用など、さまざまな音楽語法を縦横無尽に駆使するいわば雑食性の作曲家であったといえる。
「オードブル(Hors d’oeuvre前菜)」としてすでに日本語化した語をタイトルとしているこの作品は、そのような若き黛が東京芸術大学在学中の1947年に作曲したもので、黛の述べるところによると、ジャズのもつ「溌剌たる躍動感」や「生命力に溢れたヴァイタリティ」を「純音楽的に表現する」ことを試みた作品であるという。ジャズはすでに戦前から日本でも知られていたが、戦後まもない時期といえる作曲当時には、戦勝国アメリカを象徴する新鮮な音楽として人々を席巻しており、黛自身も一時期はジャズ・バンド「ブルー・コーツ」にピアニストとして参加していたほどである。
作品は2つの楽章からなり、第1楽章は短い前奏をともなう「ブギ・ウギ」で、序奏の部分を除いてリズムをスウィングさせて演奏するように指示されている。第2楽章は「ルンバ」となっているが、この楽章はのちにオーケストラに編作され、管弦楽曲《シンフォニック・ムード》(1950)となっている。日本の作曲史に重要な足跡を遺した黛の創作の軌跡において、まさに「前菜」の役割をはたす小品ともいえるだろう。