1840年作曲、リストと親交が深かったパリの著名なヴァイオリン・ヴィオラ奏者のユランに献呈。実質上全3楽章からなるヴァイオリン・ソナタと言ってよい。アルカンの創作意欲が旺盛な20代の作品。第1楽章が圧縮されたソナタ形式、第2楽章は3部形式、第3楽章はロンドという構成であり、いくぶん古典的な形式を取っているように思われるが、思いがけない転調や拡大された器楽書法にアルカンの急進的な作曲語法が嶋されている。
□第1楽章 十分に生き生きと 嬰ヘ短調‐嬰ヘ長調 4分の4拍子
fis‐mollの第1主題に始まり、第2主題はCis‐dur、展開部ではfis‐mollのII度からg-mollのV度に読み替えられ、d-mollへ、そして次の瞬間、わずか3小節の間にd‐mollからc‐moll→b‐moll→Ges‐durへと突然、しかし自然に転調する。Ges‐durの度(読み替えればFis‐durのIV度)からCis‐durのV度へ、異名同音的転調をし、第2主題へ回帰する。コーダでアルカンは初めてFis-durに調号を変え、提示部でわずかにほのめかされた8分音符の素材を展開し、そのまま第1主題をこの調で再現して第1楽章は終わる。彼は、このような短い楽章で、これだけの転調を行い、色彩を非常に鮮やかにしているという点に注目しよう。
□第2楽章 《地獄》 遅く 嬰イ短調 8分の6拍子
第2楽章は《地獄L'enfer》という標題が付いている。冒頭は2つのcisの周りを縫うように長三和音が半音階的に揺れ動く仕組みになっているが、cis-fis-a-dという不協和音は無作為に作られているのではなく、fis-mollである第1楽章の主和音fis-a-cisと、冒頭の動機fis-dを組み合わせた形であることが分かると、第1楽章との整合性がはっきりする。低音でそれをすることによって、地獄のそこから響いてくるような唸りを見事に表現しているのである。やがて「plaintivement」と書かれたdis-mollとh-mollのヴァイオリンの半音階的な旋律が現れる。この旋律と指示が相俟って、「地獄」のそこからかすかに聞こえてくる悲鳴やうめきといったものを演奏者に想起させることが可能になるのである。一方、中間部は地獄とは打って変わって、「evangeliquement」という指示によって神の国を喚起させる。ピアノのコラールに続きヴァイオリンが弱音器を付けて美しい天上の歌を奏でる。この際、ピアノのトレモロ的な用法が、厳かな雰囲気を作るのに重要な役割を果たしている。終わりは、再び冒頭のクラスターを更に厚くして中間部との対照を際立たせ、うめき声がピアノの低音のトリルにかき消されて終わる。
□第3楽章 フィナーレ,できる限り早く 嬰ヘ長調 4分の2拍子 ここでも第1楽章の主題であるfis-dという動機に始まるユニゾンで開始される。この序奏は2/4拍子であるが、2小節目からおよそ10小節間はあたかも3/4拍子であるかのように書かれている。この楽章でも、リズムばかりではなく、頻繁な調性の変化によって色彩の鮮やかさが更に増す。 この楽章だけで24調あるうちの殆どの調が使われている。彼が用いた動機はfis-dばかりではなく、第1楽章の冒頭でその下でピアノに現れる旋律をもリズム的に展開している。
このように、この作品は全体的に非常に精巧に作られているソナタであると言えるが、すべての楽章を通してヴァイオリンにとってもっとも響きやすい調であるD-durが現れないのは非常に面白い。アルカンは7歳でヴァイオリンの公開演奏会を開いているから、これは決して彼のヴァイオリンに対する無知によるものではない。あえて、常に今までになかった方向へと突き進んでいったのである。そして、もう1つ指摘し得る重要な点は、この曲のすべての楽章がd-fisという統一的なモティーフによって構成されているということである。動機による作品の統一は47年のピアノ・ソナタ 作品33の特徴でもあるが、50年代を通してそうした動機による全体構造の統一からは離れ、異なる音楽的要素を並列するという独特な形式を採用するようになる。