タンスマンの最初の教育用作品《子供のために Pour les enfants》全4巻(1934年刊)は好評を博し、当時のマックス・エシック社の経営を支えるほどのベストセラーとなった。この成功を受け、エシックがタンスマンに、今度は思いきって易しく、入門者にも弾けるレベルの曲をと依頼し、1937年に発表されたのが本作《ママのために弾きましょう》である。タンスマンはこののちも晩年まで教育作品を数多く書いた。その充実した質、量はあらためて着目されてよい。ピアノ専業ではないオールラウンド型の20世紀の作曲家の所産としては、バルトーク、グレチャニノフ、カバレフスキーにも比肩しよう。タンスマンの行き方は、バルトークで言うと、革新的かつシステマティックな《ミクロコスモス》の系列ではなく、親しみやすい《ピアノの一年生》や《子供のために》の系列に近い。タンスマンは民謡を用いずにオリジナルのメロディを書いたが、ジャズやブルースの導入、個性的な和声とリズムの取り込みにより洗練された現代性を出している。技術面での系統立てがさほど厳密ではない分、ピアノ専業作家では思いつかぬような新鮮な着想も多い。芸術性にあふれる高い教育的価値は21世紀の今でも少しも薄れていない。
本作は、タンスマンの書いたピアノソロ用の教育作品の中で最も平易なものである。導入から基礎前期(バイエル中盤、メトードローズなど)のレベルで、1曲見開き2ページずつの愛らしい小品が並ぶ。明瞭な古典的様式に、ディアトニックな和声、左手で伴奏、右手でメロディという最も初歩的な書法によるため、基本の教材にしか触れていない学習者にも容易にとりくめる。タンスマンはどれほど簡単な曲でも5指をワンポジションに固定せず、ポジション移動、指くぐり、指またぎをさせる。作曲家によってはワンポジションを重視する教材を書く者もいるから、これはタンスマンの考え方なのであろう。また、1曲2ページというのも、このレベルの曲としては「長い曲」の部類で、それがこの曲集の特色の一つにもなっている。実質的な反復も多いが、あえて反復記号を用いずに全て実音で書かれている。この段階から、一瞬で終わるような曲でなく、ある程度の長さを持った曲を生徒に与え、全体の起伏を考えて一つの作品に仕上げさせる意義は大きい。発表会の現場でも、1分未満であっけなく終わってしまうような曲よりも、大人の観賞にも堪える内容・構成で1分、2分と聞かせるほうが保護者の方にも喜ばれよう。本作は長らく1曲ずつのピースで分売されたことが普及の妨げになっていたが、ようやく2005年に合冊版が出た。ユニバーサルデザインを意識したカバーイラストの変更については賛否もあろうが、本作の入手が容易となった点は歓迎したい。本作を楽にこなせるようになったら、次のレベルの《パパのために弾きましょう》に進むとよい。《パパ》では、もう少し高度な音楽性とポリフォニーの学びが得られる。
第1曲 Petit air ささやかな歌 Modéré(中庸に) 4分の4拍子 ハ長調
第2曲 Air bohémien ボヘミアの歌 Assez vif(十分に速く) 2分の2拍子 イ短調
第3曲 Jeu あそび Modéré(中庸に) 4分の3拍子 ハ長調
第4曲 Orientale 東洋ふう Modéré(中庸に) 4分の4拍子 イ短調
第5曲 Valse ワルツ Allant(元気に) 4分の3拍子 ヘ長調
第6曲 Mélodie メロディ Modéré(中庸に) 4分の4拍子 ハ長調
第7曲 Bourrée ブーレ Vif(速く) 4分の3拍子 ヘ長調
第8曲 Fanfare ファンファーレ Vif(速く) 4分の4拍子 ハ長調
第9曲 Mélodie arabe アラブのメロディ Lent(おそく) 4分の3拍子 イ短調
第10曲 Menuet メヌエット Modéré(中庸に) 4分の3拍子 ハ長調
第11曲 Polka ポルカ Assez vif(十分に速く) 4分の4拍子 ト長調
第12曲 Air hongrois ハンガリーの歌 Modéré(中庸に) 4分の4拍子 ハ長調